この度は地中海料理紀行のHPへ

お越しいただきありがとうございます。

 

 

まずは私がこのページを開くに至った経緯を

自己紹介がてら書いてみますのでお付き合いください。

 

私がイタリアに来るきっかけとなったのは

学生時代に決行した「チーズを巡るヨーロッパ・バックパックの旅」でした。

 

私は高校生の時にチーズに惚れこみ

チーズの会社に入りたくて

とりあえず食の勉強をしておこうと食物栄養学科に入ることにしました。

 

そして友人とふたり、イタリア、オーストリア、スイス、ドイツ、

ベルギー、フランス、イギリスの七か国をチーズを食べ歩きながら巡る旅に出かけます。

 

 

その時立ち寄ったフィレンツェの街並みを目にした衝撃は

今でも鮮明に脳裏に焼き付いています。

ドゥオーモの上まで登って見おろしたそこには

統一感のあるオレンジ色の屋根の街並みが広がっていました。

その時衝動的に「こんな街に住んでみたらどんなにステキだろう!?」と思ったのです。

 

 

 ヨーロッパを横断したのに

そんな衝動を抱いたのはフィレンツェの街だけでした。

 

 

 

その後念願のチーズの会社「フェルミエ」で働けることになり

ヨーロッパに住んでいても手に入れることが難しい

あらゆるマニアックなチーズと 戯れ

毎日幸せな日々を過ごしました。

 

社内にはイタリアやフランス好きの

これまたマニアックな同僚がグルメな話を繰り広げていて

みんな当たり前のように会社をやめて海外に飛び立っていたので

自分ももちろん、海外に行くことを視野に入れて準備をしていました。

 

 

フランスチーズが大好きなので

最初はフランスに行こうとフランス語を勉強していたのですが

動詞の活用が全く理解できず挫折。

 

 

そして瞬く間に時間ばかりが過ぎていく毎日の中

ふとイタリアの青い空とフィレンツェの街並みを想い出したのです。

 

言葉が出来なくても、あの街に戻って暮らしてみたい…..。

何かをゆっくり立ち止まって考える余裕もない日々に終止符を打ち

自分は人生で何をしたいのか

じっくり考えるための休養の時間が必要だったのです。

 

その時からイタリア語を勉強し始め6か月の滞在予定で

念願のフィレンツェにやってきました。

(結局イタリア語も日本ではサッパリ覚えられなかったのですが….。)

 

 

 

本当に自分がフィレンツェに住んでいるなんて、夢のようでした。

重厚な大扉を開けて自分の家に入る時

カラッと澄んだ青い空を見上げる時

丘の上からバラ色の街を見下ろす時

それが現実なのだと実感しました。

 

 

散歩しているだけでも楽しめましたし、旅行も沢山しました。

娯楽の面では大満足の滞在でしたが……

5か月経っても思うようにイタリア語が喋れない自分には不満足でした。

 

 

語学学校は最後の頃は授業のレベルについていけず

出席しているだけで拷問のように感じ、結局登校拒否気味で終わりました。

スキル的に私は何も身に着けることができなかったのが残念で

滞在期間を延長することに決めました。

 

 

 

 

アパルタメントを引っ越した先で、同居人のメキシコ人の留学生と知り合いになりました。

彼女はペラペライタリア語を喋れて、フィレンツェでの生活を謳歌していました。

私の写真アルバムを見て「あなた、写真好きでしょ?私の学校にいらっしゃいよ!」と

自分が通っている写真学校に一緒に通うよう誘ってきました。

 

 

私は生まれて初めて白黒写真を暗室に籠って自分で現像して

写真の奥深さに感銘を受けました。

私はカメラを持ってフィレンツェの街をさまよい続けました。

そんな新しい経験も、あまり私のイタリア語の上達には役立ちませんでした。

 

 

友人とモロッコ周遊旅行をしてフィレンツェに帰ってくると

待ってましたとばかりに新しい出会いがありました。

新しい彼氏は…..モロッコ人の男性でした。

今は相当上達しましたが、当時の彼のイタリア語は私よりもひどいレベルでした。

イタリア語を教わるどころか、私が彼の文法を直してあげる始末…..。

 

 

 淡々と時が過ぎ、何もしない自分には何も起きず

自分の無力感に絶望して鬱状態になり、とうとう引き籠り生活に突入。

 

イタリア語が話せないから仕事に行くのが怖い。

イタリア人の友達もいないから会話の上達なんてまるでない。

かといって語学学校の授業だけで会話力が上達するなんてありえない。

このままいろんなことから逃げながら結婚なんてしたくない。

 

全て自分が勉強もせず、自発的に行動しないのが原因なのはわかっていました。

こんな情けない自分の状況は恥ずかしくて両親にも話せず

悩めば悩むほど解決策は見えず、さらに憂鬱な日々を過ごすのでした。

 

 

 

そんな中同じくフィレンツェ在住のモロッコ人の彼のお姉さんが脳梗塞で倒れ

6か月の入院の末、半身不随の状態で退院してきました。

仕事を失った彼女は経済的にひとりで生きていけないので

彼女を助けるために同居しなければならないと彼に相談を受けました。

まだ私達は結婚もしていないのに。

 

もし彼の国モロッコを見ていなかったら

私は同居を拒否していたに違いありません。

 

ただ、私は彼と出会う前に

モロッコを旅行し、彼らの生活を見てしまっていたのです。

 

モロッコ人の友人のお家に2週間お世話になったのですが

そこは赤ちゃんからお年寄りまで共存している

保育園も老人ケア施設も要らないような理想郷でした。

 

みんな大家族で若者は赤ちゃんを、

大人はお年寄りの面倒を看るのが当たり前でした。

 

こんなに家族を大切にする国民のひとりの彼が

お姉さんを放っておけるハズがありませんでした。

私がお姉さんとの同居を拒否したら

彼との関係も終わることを意味していました。

私は同居を承諾し、彼のお姉さんの家に引っ越しました。

 

 

これより3年間、地獄のような生活が始まります。

お姉さんは、突然自分に降りかかった不幸を未だに受け入れられない鬱の病人です。

全てのストレスを私にぶつけてきます。

私も鬱気味ではありましたがレベルが違いました。

毎日私は何か行動する度に罵声を浴びせられました。

 

その後私と彼は結婚しましたが、家では彼女に振り回されっぱなしで

私は疲れ果てていました。

 

私は現状を恨みました。

何度も逃げ出したいと思いました。

でも恨んだところで自分の人生は何も変わりません。

私はこのマイナスのエネルギーをプラスに変えられるよう

自分を高められるような勉強に全ての力を注ぎこみました。

 

自分の好きな分野のことなら勉強が続けられるだろうと

料理学校の試験を受けてみました。

なんとか15名の枠に入れて、私は料理学校に通い始めました。

 

 

学校では人前での発言なども強制され

だんだん人との会話に恐怖を感じなくなっていきました。

周りに刺激を受けながらイタリア料理のシンプルな美味しさを学びました。

 

こちらの学科の授業で「食品学」を勉強した時に

これは日本でも勉強した、私の専門分野だと思い

イタリアでも食品系の勉強ができるところはないかと探したところ

フィレンツェ大学に栄養士コースがあるのを見つけました。

 

 

 

リストランテで研修中にコックの男性から

「君、栄養士なんでしょ?最近太っちゃってさ、僕に栄養カウンセリングしてくれない?」

と言われて、イタリアの食生活におけるアドバイスなど

何ひとつ出来ない自分に愕然としたことがあり

イタリアで生活していくと決めた今、もう一度勉強しなおそうと決めました。

 

 

フィレンツェ大学への入学手続きを始めてみたのですが

とてつもない複雑な手続きが必要で、揃えるべき書類リストを見ただけでも

頭がクラクラしそうでした。

 

準備している最中に流産も経験し

それが自然の流れだったとはいえ、ひどく落ち込みました。

 

準備を始めてから1年後。

入学許可の通知が忘れた頃に届きました!

1年生の第2セメスターから編入というカタチで入学が許可されました。

私は妊娠6か月でした。

 

3月に勉強を始め、一連のテストを終えて

出産の時期はちょうど夏休みにあたり

2006年7月、テスト期間終了後にすぐに出産しました。

 

ここで奇蹟が起きたのです。

赤ちゃんを病院までびっこを引きずりながら見に来たお義姉さんは

赤ちゃんを見た途端、目を輝かせて笑顔になったのです。

 

今まで私に罵声を浴びせ続け

笑顔なんて忘れてしまったのでは?と思うくらい

ムッとした表情しか見せたことなかった彼女だったのに。

 

その瞬間なんと、彼女の鬱は喜びの躁へと転換したのです!

退院して家に帰ると、家中ピカピカに掃除されてお花の香りが漂っていました。

この3年間、掃除もできない程鬱だったお義姉さんが動き始めたのです。

モロッコでは産後40日間家事をしてはいけないと言われているらしく

お義姉さんはその間全て料理を作ってくれました。

 

私は信じられない感謝の気持ちで一杯になりました。

もしお義姉さんがいなかったら親戚もなく1人きりだった私が

産後の疲労で「一番誰かを必要としている時」に助けてくれる人が現れたのです。

まるで神様からのプレゼントのようでした。

 

 

3か月間の夏休み中、子供とベッタリ過ごし

その後は義姉が子供をみてくれて

なんとか勉強や病院実習を続けられました。

 

家族のみんなに協力してもらい

毎日感謝しながら勉強に集中し続けました。

一分一秒をムダにできない生活が3年間続きました。

 

大学生活1年目は辞書を引くだけで授業が終わっていましたが

3年目はもう辞書は殆ど必要ない状態でした。

 

2009年4月22日、卒業式の日の夫の晴れやかな笑顔を

私は一生忘れないと思います。ちょうど結婚記念日でした。

私はまた妊娠6か月のお腹を抱えながら卒業しました。

 

 

 

 

 

こんな経緯で私はDieta Mediterranea (地中海式ダイエット)を学びました。

子育てに少々休憩の時間をいただきましたが

これからはこのサイトを通して

皆さんと地中海料理の素晴らしさを共有していけたら嬉しく思います。

 

みなさんも「地中海式ダイエット」という名前は聞いたことがあると思いますし

地中海沿岸にお住まいの方は

すでに日常的にされている食事法かと思います。

 

 

今まで名前しか聞いたことがなかった方には

新しい発見がありますように。

こちらに住んでいらっしゃる方には

現在の食生活を、深い知識と自覚を持って

実践的により良いものにしていけますようお祈りしております。

 

 

2014年11月11日            須之内律子